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一度は蹴った不動産業との不思議な縁 29才で会社設立、気付けば業界の草分けに カルチェカガン 社長 河岸健吉氏

1995.09.15 16:37

 東京・中央区を中心に貸しビル管理・仲介を行うカルチェカガンの河岸健吉社長。昭和46年の創業で、まさにこの分野の草分け的存在だが、大学を出て程なく、この業界に入り29才で創業するまでは様々な紆余曲折があったようだ。
 石川県から上京し早稲田大学に入学した河岸社長は、大学では政治家を多数輩出していることで知られるかの雄弁会に所属。現自民党幹事長の森喜朗氏は4学年上の先輩にあたる。現在も講演などを頼まれることが多い河岸社長だが、その雄弁ぶりはこの時期に養われたものか。とは言え、河岸社長自身は政治家への興味はさらさらなく、志望はマスコミ。
 大学4年になり就職の時期を迎えた河岸社長は新聞社と出版社を受けるが、”口達者”ぶりがここで災いし、両方とも面接で落とされてしまう。
 「結局いらんことをしゃべり過ぎたのでしょう。会社訪問などを世話してくれた先輩から、俺の顔に泥を塗りやがってと、こっぴどくしかられましたから」。
 その後、心配した郷里の人の口ききで、地元選出議員に連れられ、河岸社長は某都市銀行の頭取室を訪れることになる。そこで頭取秘書から進められたのが、同じ財閥系の大手不動産会社。ところが河岸社長はこの話を蹴ってしまう。
 「現在の自分からすると皮肉な話だが、当時は海のものとも山のものともわからない不動産業なんて、クソくらえという気分でした」
 こうして一旦は”運命の別れ道”を曲がってしまったかに見えた河岸社長だが、その後、2年間の留年、卒業後の広告会社勤務などを経て、結局、知人の縁で不動産と再び出会うことに。
 「あれほど嫌った不動産業であったのに、気付けばいわゆる草分けになっていた。確かに当時は不動産業は未成熟で、自らノウハウを開拓していく楽しみもあったかも知れない」と語る。




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